「AIに変革はできない」?

朝日新聞論壇時評

朝日新聞の7月27日付「論壇時評」は「AIが絶対できないこと」

 7月27日付の朝日新聞朝刊「論壇時評」は、歴史社会学者の小熊英二氏が、AIの可能性と人間への影響について、最近の論壇誌の論文などを基に考察したものだ。結論の「人間とAIの共存」という方向性は当たっているとしても、全体にやや見当はずれの部分があるのではないか? AIへの理解は正しいのだろうか?

 

 小熊氏は書く。「AIで労働コストを削減し、それで生産性を上げることはできる。だが『それそのものは新しい価値や需要を生み出しません』(中略)理由の一つは、今のAIが、一定の枠内で収集された過去のデータを学習するだけのものだからだ。」

 そして、現行では「馬車のビッグデータをAIに学習させても、鉄道の発明には直結しない。むしろそれは、馬車の改良を促してしまうだろう」として、AIにはできない人間の長所をこう指摘する。「人間は、歴史を学ぶことで未来を革新できる。」

 さらに、雇用問題専門紙「POSSE」からの引用で、AIは労働者を幸せにしないという論を展開する。いわく、「変革はできない」AIによる労務管理は、従来型の働き方をする社員をより高く評価する。「従来の構造を維持したまま、コストを削る」ことが得意なAIによって、「最悪の場合、(中略)古い産業や無能な経営者が延命するだろう」と説く。

 論考の根底にあるのは、「AIに変革はできない。」という認識だ。そして、イノベーションを起こす「新しい価値や、社会制度の変革」は「人間にしかできない」と見る。

朝日新聞論壇時評

「AIに変革はできない」と書く=朝日新聞論壇時評から

 本当にそうなのだろうか。

 かつてのように人が問題を出し、回答を用意して一つずつ解を覚えさせる、という学習が主体だった時には、コンピューターは過去からしか学べなかっただろうが、現代ではAIは深層学習を深めている。並列強化学習によって、何もないところから、機械が勝手に試行錯誤を繰り返すことで、自ら問題点を考え、答えを発見し、規則性を見出し、法則を作ることができるようになっている。であればこそ、これからのAIにはロボット倫理が必要だと、マイクロソフト社が決めたのではないか。AIが自ら学ぶことで、「変革」すらも生み出してしまう時代がすぐそこまで来ている、ということではないだろうか。

 となると、小熊氏が前提としている「AIには変革はできない」という前提は崩れる。

 またもしも、たとえAIには変革ができないとしても、いや、であればこそ、人間にしかできない「新しい価値や成長を生み出す」ことは人間の領分となる。AIが人々から解放するのは単純労働だろう。ルーティンワークをAIが担ってくれることにより、より多くの労働者は「新しい価値や成長を生み出す」、より「人間的」で高度な仕事に携わるようになれるのではないか。それは労働者にとって、けっして悪い未来予測ではないのではないか。

「AIに勝てるか」という命題そのものの陳腐

 小熊氏は論考の終盤、AIとの共存の試みとして、AIによる自動運転技術を運転手の労務補佐に使う提案を紹介する。だが「試み」というより既遂の感がある。論壇誌を基に評論をするという論談時評の弱点が現れた形だが、現実の技術開発と論壇との間にかなりの時差がある。自動運転技術は、運転手の体調管理や危険運転防止の安全装置としての実装はすでに進んでいる。また、運転手から労働を奪う目的ではなく人手不足を補うために、高速道路での遠距離運転に投入する方向性での研究がなされている。この辺りは、現実と論壇の認識との乖離を感じる。

 小熊氏は最後に、「事務職の2割がAIに代替可能と予測され、人々を新しい職に移行させる能力開発」への対策の必要性に触れる。そして、人間がAIを使って「共存する」ことを提案する。「AIと共存できる社会に変えていくために、人間にしかない英知を使うべきだ」と。

朝日新聞論壇時評

「AIは新しい価値や成長を生み出すわけではない」と書く(朝日新聞論壇時評から)

 人にしかできないことでAIと棲み分けるという結論に異を唱えるものではないが、AIに「勝つ」「負ける」「共存する」という視点そのものに、陳腐さを感じてしまうのは私だけだろうか。そもそもの命題が「人間はAIに勝てるか」だったからの陥穽なのだが。AIは、それに勝つものでも、負けるものでもなく、共存というほど大げさな存在でもなく、人が「使いこなしていくもの」に過ぎないと、私は思うのだが、どうだろうか。

 もちろん、深層学習が進むことで、倫理観を持たせることが徹底されねばならないほど高度に「知能」を発達させたAIに、人間が「使われ」「負けてしまう」時代が来るかもしれない。そうした科学の進歩の負の側面を考えて、「共存」を模索する方がいいのかもしれない。でも、人類にとってそれほど対等なパートナー関係になれるのであれば、危険性だけでなく、新しい明るい展開も期待できると思うのだが。

(2017・7・30、元沢賀南子執筆)