横断歩道 働き方改革で知られるヤフー。その挑戦をけん引する宮坂学社長は「毎年、何か一つずつ、やめている」という。「やめる」ことは、選ぶこと。断捨離で人生を味わい尽くす、貪欲な生き方ともいえる。

 日本記者クラブでの3月の会見で語った。心身とも良好なほうが生産性が上がるとして、ヤフーは社員の健康管理に取り組む。通勤のストレスから解放するための在宅ワークや新幹線通勤、プライベートを充実させるための申請制の副業の自由をすでに実施している。週休3日制も検討中だ。

 質疑で、自身のことを問われた宮坂社長は、若い時は働きすぎていたが、健康な方が結果的に仕事がはかどると、実感を語った。その上で「毎年、何か一つ、やめることをしている。昨年は炭水化物の摂り過ぎをやめ、今年は外で飲むのをやめている」と話した。飲酒は自宅でだけ、というルールは会見時点でずっと守っていて、体調はすこぶるいいという。

「今年はこれを『する』と決める」というのはよく聞くが、「これを『やめる』」とは新鮮だ。

年齢的なことも大きいだろう。

同社のホームページによると、宮坂社長は1967年生まれ。今年50歳。人生の折り返しを過ぎ、残りの生き方を考え始める時期。健康の重要さが身に染みてくる年ごろでもある。

人生の前半生は「獲得する」ことが大事だった。いかに速くいかに多く、有用なものを得て身に着けるか。横断歩道

それが後半生は、「手放す」ことの方が重要になる。物理的にも能力的にも、人によっては金銭的にも限界がある。寿命という時間的な制約もある。獲得してきたすべてを持ち続けることはできない。

終幕から逆算して、何を優先し、何を選び、残し、そして何はやめ、捨てるのか。「もったいない」だらけの、やり残し人生にならないための、いわゆる「人生の断捨離」である。

やめる、というと、イコール、楽しみや習慣を諦めたり失ったりすること、と後ろ向きに考えがちだ。せっかく獲得していた既得権益やそれをできる自由を手放すようで、もったいない気もする。

だがそれは精神的な「貧乏性」ともいえる。

現実に即して考えてみよう。例えば飲酒。痛飲すれば翌日の仕事に響く。時間の無駄になるし、長期的には健康リスクもある。そうと分かってはいても、ついつい酒の解放感や酒席の楽しさの誘惑に負ける。

生活習慣は簡単には変えられない・変えにくい。ではせめて、飲酒はやめないにしろ、痛飲を避けるようにすれば、その後の人生を、病気のリスクを減らし、よりストレスなく生きられるようになるだろう。

やめることは、何かを諦めたり失ったりすることではない。逆に、やめなかったときには得られなかったはずの違う自分に出会い、別の何かを獲得することになる。「やめる」ということを新しく「始める」ことでもある。

……と、頭では分かっちゃいるんだけれど、ね。実践が伴わないのが、凡人の悲しいところだ。意志力の弱さというか、人生への貪欲さの欠如というか。

それができる宮坂社長は、さすがエリートだなあ、と思うのである。

(2017・4・18、元沢賀南子執筆)