カホコ&ブラキャ

ドラマ「過保護のカホコ」と「ブランケット・キャッツ」には共通点が・・・

ドラマ「ブランケット・キャッツ」(NHK)と「過保護のカホコ」(日テレ)。設定も主題も違うのに、ともに「必要とされたい」人々が描かれる。

「ブラキャ」については前回詳述したが、もう一つの「過保護のカホコ」は、大学生にもなって親の言いなりで主体性のないカホコ(高畑充希)が、恋を知ることで少しずつ親離れしていく物語。同じ大学に通う画家の卵・ハジメ(竹内涼真)への恋心を自覚し、思い切って告白するが、あえなく玉砕。

だが、画家としての才能に疑問を感じていたハジメには、自分の絵を褒めちぎるカホコの励ましは必要なものだった。恋愛感情ではないけれど、と念押しして、もう会わないなんて言うなと、カホコに告げる。

「俺にはお前が必要なんだよ。お前が俺の絵を良いって言ってくれたら、心から信じることもできるし、自信も沸くからさ。これからも、ちょくちょく俺の絵を見て感想を言ってもらえないかな」

帰り際、カホコに「またあした」と声をかけると、カホコは予想外に感動する。「またあした」という挨拶がうれしいという。

「この世界で、家族以外にも、自分を必要としてくれてる人がいて、いつでも会いたいって思ってくれるのって、こんなにうれしいんだね。なんか、あたしも生きてていいんだよ、って言われてるみたいで」

30代後半の「ブラキャ」俊亮も、20歳そこそこのカホコも、年齢は違うのに、ともに「必要とされること」の喜びを説く。「必要としてくれる誰か」がいることが素晴らしいと話す。要は誰かに「あなたでいいのだ」と承認されたい、承認願望が満たされたいのだ。

しかも二人とも、仕事・生き方でも居場所探しをしている。

俊亮は妻の死をきっかけに退職した家具メーカーから、良いポジションでの復職を打診され、家具修理という地味な今の仕事のままでいいのかとの迷いがある。カホコはそもそも何も考えずに就職活動してきたが全滅し、どんな仕事に就きたいか、自分の方向性すら見えていない。

俊亮はもろもろの騒動の後で、家具修理の仕事を選ぶことを決意する。依頼されていた、親子3代で使ってきた針箱の修理をしながら、「あちこち傷があるだろう。それでもこうやって、まだ使えるんだ。まだ使いたいって人がいるんだ」と、復職の答えを聞きに来た元同僚に話す。

「傷があっても生き返ることができる。傷は傷でいいんだ」

妻の死という傷は傷として抱えたまま、生き続けることを覚悟する。後ろ向きな気持ちではなく、前に進むためにと、正式に復職の依頼を断る。そして、自身を「必要としてくれる人」の存在を認め、幼馴染を食事に誘う。

みなが「必要とする」より「必要とされたい」時代。自意識過剰の時代ともいえる。だから、SNSなどネットに上げたメッセージやブログが読まれないと、誰も自分を見ていない・必要とされてないとして、「無視した」側の社会を逆恨みする人も出てくる。ネットという大海の中では、誰にも見られなくて当たり前なのだが。

本当は、「求めよ、さらば開かれん」なのだと思う。自分から、あなたが必要だと相手に求めることが第一歩。求めない人は、相手からも求められない。

もちろん、求めたからといって、相手からも求めてもらえる保証はないし、相手は別の人を求めていることもある。相手が本当に嫌だと断っているのに、諦め悪く求め続ければ、ストーカーになってしまう。最初からストーカーになるのを恐れて、または断られて傷つくことを避けたいがために、働きかけない人も多いのではないか。

でも、受動的に、「必要とされたい」「必要としてほしい」と口を開けて待っているだけでは、本当に「必要とする/される」関係性は築けないだろう。恥ずかしくても、怖くても、本当に必要な人間関係は、自ら行動で示さないと。「必要とされたい」と言いながら、「必要だ」と言わないのでは始まらない。その勇気と行動が、一番、現代人に欠けていることかもしれない。

(2017・8・6、元沢賀南子執筆)

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